3回目となる『利用者の声』。
今回は番外編として“元”利用者で現在は当法人でソーシャルワーカーを務めるKさんにお話をうかがいました。
1.茨城福祉工場で働き始めたきっかけを教えてください。
平成2年8月に情報処理部門開設のため、障害ある方を募集するという新聞掲載があり、隣の当時養護学校の寮母さん(友人の彼女、今は連れ合い)がそれを教えてくれたのが応募のきっかけでした。
交通事故後の2度目のオペ後で、家で療養していた時期であり、時間を持て余していて働かずに家にいるのが辛くなってきていた時期でした。少し勉強でもするかという感じですね。
2.入社してみていかがですか。
情報処理って何?という状態だったし、訓練生という立場でしたから、半分学生に戻った気分で、一期生5人と指導者で日々楽しく学んでいました。それまであった印刷部門の場所でやってましたから、独特のインクの匂いが漂っていたのを今でも覚えています。
3.職場の雰囲気はいかがですか。
当時定員50名のところに情報部門の定員30名を増員というタイミングで入り、それから四半世紀、現在では法人の職員や利用者を合わせると倍以上です。常に変化があって成長してきた組織であり、チャレンジ精神や活気があるのではないでしょうか。
4.今の仕事内容は何ですか。
就労支援、皆が目標に向かって主体的に挑戦する姿勢を支えることです。面談等を通して具体的な意欲や行動を共有し、抱える問題の解決策を一緒に検討し、立ち向かう勇気を称え、必要に応じて、その方を取り巻く環境の調整について外部の関係機関と連携しながら、より良い人生となるように支援することです。
5.仕事上苦労したことは何ですか。
たくさんありますが、若い頃の話を二つ。
顧客先にプログラムの納品に行くんですが、身体の状態のいい自分が、
他の人の分も一緒に持っていき、お客様の前で仕様書通りに動くか検証するんです。事前に検証して持ち込んでもなぜか上手くいかないことが多くて、言い訳しながらびっしょりと悪い汗をかくんですね。そしてその場で少し時間をもらって、他の人が組んだソースコードに手を入れて再度検証をお願いするんですが、毎回くたくたになりました。そのお陰で他の方のソースを見る機会が多く、自分の実力がわかり同じ土俵で戦うことはやめようとの気づきも得られました。
その後も世の中が汎用機からパソコンへとダウンサイジングする中で苦労が続きます。当初は仕事が用意されているのが前提でしたが、仕事の確保に経験のない営業もしなければならなくなりました。公共系のお客様からは、よく公共系での実績を問われましたが、新規参入のため実績があるはずもなく、そのお陰で口が上手くなりました。
6.茨城福祉工場の良いところを教えてください。
ハンデを抱えて健常者の中で働くことは、様々な苦労が多いでしょうが、自分に自信が持てれば健常者の中で活躍することもできると思います。その為に活用できる場は、残念ながらそれほど多くはありません。ここでは、時間をかけてそれができるのではないでしょうか。
7.現在お勉強されていることはありますか。
これというものはありませんが、興味の赴くまま幅広く本は読むようにしています。
8.仕事じゃない日はなにをしていますか。
子供が3人いてイベントが多く、高齢の母が実家で一人暮らしのため様子を伺いに、妻とは晴耕雨読、週末ファーマーで、店頭では見かけない規格外の野菜を育てています。
9.今後の抱負を教えてください。
ここで自分が成長させていただいたものを、社会にお返ししていければと思います。
10.最後に一言お願いします
事業所を上手に活用して、自己実現を、社会貢献をして頂ければと思います。